ニートのプログラミング
パソコン買って、プログラミングの勉強をするなり!
体調も良くなったし、これから働かなくていけないし、食っていけるだけの技能も身につけんいかんし。
知識ゼロだが、生まれた時にはみんなゼロだったわけで、今を知って昔を知るという行為で現実を認識してきたんだし。
知識ゼロという状態を指しているだけだと自分を鼓舞する。
言語はPythonを学んでみようと思う。
なかなか大人にはなれない。
これは、平均寿命が伸びて、社会が豊かになったから、冒険期が伸びているためだろうと思う。
そもそも、一般的な大人とは社会が決めた紳士淑女のあり方みたいな規範だ。
つまり、平均的な物ではなく、最低限身につけて置いて下さいねという基準やハードルを設定したというわけだ。
多くの人は、社会に対しての自分、を形成し、それに順応していく。
例えば、誰に対してもにこやかに接し、挨拶し、我慢強く、相手に譲歩する。暗黙の規定に縛られるようになったら立派な大人だ。
僕はこんな風に器用に立ち回れない、率直な物言いをするし、我慢が出来ない。そんな大人からは溢れている。したがって、子供っぽく相手に映る。
大人を演じる事はなかなか難しい、だけど、生きている間に誰しも、ステージに上がる一場がある。スポットライトの下は熱いし、観客は見えない、舌も上手く回るかわからない。けれど、精一杯演じなきゃいけない時が来る。
回顧
光陰矢の如しと言うが、体調崩してからの時間はあっというまだった。
生きてる状態と動けない状態の繰り返し。
悪い時は死の待合室に座っている様な状態さえ覚えた。
ただ、今は回復している。時間はかかったけど、これが生きている生き物の力なんやなと実感した。
つまり、外部から刺激や治療を施しても、治す事は出来ない、治るのは生き物自身が持っている力だという事。
この治る時間が個々に違う。ある人は数ヶ月、又ある人は数年かかるかもしれない。
個人の境遇、環境、余裕、が違うからだ。
自分は運良く、実家で生かしてもらえた。
一人暮らしや頼れる人がいなかったら、多分自殺をしていたと思う。
まぁ、生きてる間の浮沈があるのが生きるというものだろうし、人生の収支がプラスになればいいだけの事取り返しのつかない事というのはあんまり無いんじゃないかと思う。
生きる事には障害が付き物だ。しかし、それに抵抗する事が生きるという事だし、その抵抗や摩擦が楽しさや嬉しさ喜び、様々な感情を創るのだろう。
働かなくてなって七年目
家に居て、読書と睡眠にも飽きて来た。
社会に対しての自己が希薄になってる気がするので、日記でも書いてみる。
何らかの変化があるだろう。