地球だって大変だ。

働かなくても腹はへる。 鬱病からの脱却。

鬱病対策 食事と栄養


鬱病や精神的な病は専門医に診てもらってお薬を処方してもらい、長い期間かけて治療するのが一般的なようだ。
僕の場合はアプローチが違った。
薬も処方してもらい飲んだ事はあるが、薬ありきでは治った事にはならないのでは?と懐疑的だった。 

そこで、薬は飲まずに食事を変えてみる事にした。
具体的には1日に必要なタンパク質の量を体重×1gよりも多く摂取する。
これが自分には劇的に効果があったのだ。
不安と倦怠感、ネガティヴな思考が大きく弱まった。
生きる活力と物事に取り組む体力が回復したのだ。
それからは、本が前より読める様になったり、絵を描いたり出来る様になって今に至る。 

では、なにからタンパク質を摂取すればいいの?
答えは、あなたの体質による。
お腹を崩しにくい体質ならば手軽に済むプロテインをお勧めする。
プロテインではお腹が崩れる人はお肉から取り入れる。
個人的にプロテインよりもお肉の方が身体に対しての吸収効率が良いと思う。
お肉は豚肉、牛肉、鶏肉、とあるが身体に十分なタンパク質を摂取するならば鶏肉を勧める。
中でも部位は胸肉がダントツでカロリー、タンパク質ともに優れている
これを、親子丼にしたり茹でたりしたり好みの調味料、タレ等で食す。
寝る前に食べると翌日の疲労感が違い寝起きのよい朝となる事でしょう。

タンパク質以外の栄養も大事なので補足に僕が効果があったサプリメントを紹介して終わる。

プログラミング

やっとこさ、パソコン導入。 

macは初めてだから使い方に慣れる様

いじらねばいけん。  


毎日コツコツと進めていこう。

鬱病期間が長くて働けなかった時間を取り戻そう

夢は複数持った方が生きやすい

僕は体調を崩して働けなくなる前まで、俳優や声優を目指していた。

けれど、目標だと思ってた夢が自分の目指していた物ではなかったと気付いてしまった。


具体的に言うと、不特定多数の他者から評価を受ける自分よりも、自分で演じて個人で楽しめればそれで良いと思うようになったのだ。 (個人で朗読したり一人芝居等もある)


夢の消失である。否、夢ではなかったと気付いた。

夢ではなく、もっと距離の近い獲得目標に近い物だったのだ。

では、夢とは何かと考えるとたかだか数年先の未来ではなくて、数十年かけて実行する計画ではないかと思うのだ。

そう考えると、平均寿命八十年として、僕の夢を描けるリミットはあと五十年になる。

そうなると、夢に繋がりそうな物を片っ端からリストアップして、出来そうな物から実行していくという事になる。

プログラミングを勉強しようと考えたのも夢の過程で使えそうだと思ったからだし、何より楽しそうだなという予感がしたからだ。


さて、夢を複数持つ事のメリットは一つの夢が墜落しても、他の夢に縋れる事だと思う。

その為にも、夢は数が大事だ。

10個の夢を叶えたくても1個の夢しか叶わないわ!なんてことはよくあるんじゃないだろうか。

ならば、100個の夢を持てば10個が叶うわけで分母の数を増やせばいいだけだ。

こうする事で落胆する事が減っていくのではなかろうか。

大事なのは、夢に関わる感情に理屈を付けて自分の感情をコントロールしつつコンスタントに進む事だろうなと思う。



ニートのプログラミング

パソコン買って、プログラミングの勉強をするなり!

体調も良くなったし、これから働かなくていけないし、食っていけるだけの技能も身につけんいかんし。


知識ゼロだが、生まれた時にはみんなゼロだったわけで、今を知って昔を知るという行為で現実を認識してきたんだし。 

知識ゼロという状態を指しているだけだと自分を鼓舞する。

言語はPythonを学んでみようと思う。



なかなか大人にはなれない。

これは、平均寿命が伸びて、社会が豊かになったから、冒険期が伸びているためだろうと思う。

そもそも、一般的な大人とは社会が決めた紳士淑女のあり方みたいな規範だ。
つまり、平均的な物ではなく、最低限身につけて置いて下さいねという基準やハードルを設定したというわけだ。
多くの人は、社会に対しての自分、を形成し、それに順応していく。
例えば、誰に対してもにこやかに接し、挨拶し、我慢強く、相手に譲歩する。暗黙の規定に縛られるようになったら立派な大人だ。

僕はこんな風に器用に立ち回れない、率直な物言いをするし、我慢が出来ない。そんな大人からは溢れている。したがって、子供っぽく相手に映る。

大人を演じる事はなかなか難しい、だけど、生きている間に誰しも、ステージに上がる一場がある。スポットライトの下は熱いし、観客は見えない、舌も上手く回るかわからない。けれど、精一杯演じなきゃいけない時が来る。


回顧

光陰矢の如しと言うが、体調崩してからの時間はあっというまだった。

生きてる状態と動けない状態の繰り返し。

悪い時は死の待合室に座っている様な状態さえ覚えた。

ただ、今は回復している。時間はかかったけど、これが生きている生き物の力なんやなと実感した。 

つまり、外部から刺激や治療を施しても、治す事は出来ない、治るのは生き物自身が持っている力だという事。

この治る時間が個々に違う。ある人は数ヶ月、又ある人は数年かかるかもしれない。

個人の境遇、環境、余裕、が違うからだ。

自分は運良く、実家で生かしてもらえた。

一人暮らしや頼れる人がいなかったら、多分自殺をしていたと思う。

まぁ、生きてる間の浮沈があるのが生きるというものだろうし、人生の収支がプラスになればいいだけの事取り返しのつかない事というのはあんまり無いんじゃないかと思う。

生きる事には障害が付き物だ。しかし、それに抵抗する事が生きるという事だし、その抵抗や摩擦が楽しさや嬉しさ喜び、様々な感情を創るのだろう。




働かなくてなって七年目

家に居て、読書と睡眠にも飽きて来た。 

社会に対しての自己が希薄になってる気がするので、日記でも書いてみる。

何らかの変化があるだろう。